「この曲は癒やし系だね」。最近はこんな表現が普通に使われている。本来は「理科系に進んだ」といった使い方だろう。恐怖を表現する「鳥肌が立つ」を、「素晴らしさに鳥肌が立った」というように感動した場合に広げて使ったりする。本来の用法や意味を逸脱した「拡張後」を話す若者が増えている。一方で、「けんもほろろ」「つとに知られている」などの慣用句は、ほとんど「死語」になっている。
これは、文化庁の日本語に関する調査でわかったことである。言葉は時代とともに変わっていくが、どうも好ましい方向には進んでいないようだ。もう一つ気になるのは、新学期の小中学国語教科書から文豪森鴎外と夏目漱石の作品が消えたことである。さらに、もう一つ。パソコンで文章を書いていると、「変換」機能に頼ることから、漢字を忘れてしまうことである。自分自身も国語力が目に見えて落ちているのを感じてしまう。
その反動というわけでもあるまいが、日本語関係の本がここのところよく売れている。「声に出して読みたい日本語」のほかに、「三色ボールペンで読む日本語」(角川書店)、「理想の国語教科書」(文藝春秋)の著者は、明治大助教授の斎藤孝さん。斎藤さんは、日本再生の道は「日本語力と身体の教育」と説く。同感である。
「声に出して読みたい日本語」を手にして、早速、「知らざあ言って聞かせやしょう」(歌舞伎の白波五人男)と大きな声を出して読んだ。そういえば声に出して読んだのはいつ以来だろうか。記憶をたどってみたが、四十年くらいになる。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」(平家物語)、「まだあげ初めし前髪の」(島崎藤村の初恋)…。声を出して読むことがこんなにも気持ちのよいことだ、というのを長い間忘れていた。何といってもリズム、テンポ、響きがいい。それに懐かしい名文ばかりである。「宝石を身体に埋めるイメージで楽しんでください」と著者はいう。
収録されている作品は、明治時代生まれ以前の作者のものばかりだが、年輩の人だけでなく若い人たちに支持されているのがうれしい。わが家では、親子で声を出して読んでいる。実に楽しい。
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