以前、広島で中坊公平さんの話を聞いたことがある。その時の言葉で、今でも耳に残っているのが「現場主義」だ。森永ヒ素ミルク事件の弁護団長を務めた中坊さんは、原告の家庭約40軒をすべて訪ね、つぶさに見、直に聞き、沈澱した澱(おり)を舐めてみた。それが「弁護士の原点になった」という。そんな中坊さんの口から出た「現場主義」だけに、言葉に力があった。弁護士の世界だけでなく、ジャーナリズムの世界でも常に心しないといけないことである。
中坊さんとのもう一つの接点は、香川県豊島の産廃問題を取材した時である。中坊さんは、産廃を不法投棄された住民側の弁護団長として、豊島に百回以上通った。それも手弁当である。国の公害調停で「撤去」を獲得したのは、まさに中坊さんのしった激励のたまものだった。現場主義の大切さを、豊島取材で実感した。
「金ではなくて鉄として」は、数々の社会的な事件に関わった中坊さんの自叙伝である。今をときめく弁護士だが、虚弱で人付き合いも下手で、劣等生だった、と「弱さ」を赤裸々につづっている。本のタイトルも「残念ながらウチの子は『金』ではない。勉強でもほかのことでも人より劣る。それでも、親が勉強を見てやれば、一応の格好はつけられるだろう。でも、それは鉄に金メッキするようなものだ。メッキはいずれ、はがれる時がくる。それより、鉄は鉄として、メッキせずにどう生きていけるのか、それをもがいて探させた方がいい」と言った父親の言葉からとっている。
この「弱さ」が、逆に弱い人への共感となり、中坊さんを駆るエネルギーになっている。ダメさ加減を詳細に描き、関西弁の語り口がユーモラスで思わず笑ってしまう。圧巻は弁護団長を務めた森永ヒ素ミルク事件の第1回口頭弁論だ。「良かれと願って飲ませた母たちは、18年の後も自分をムチ打ち続けていた」。中坊さんは、被害者訪問で被害家族の心情に浸った現場報告を、夢中で語りかけた。裁判長が途中から天井を向いていたという。もちろん涙をこらえていたのである。
この中坊さんが弁論するくだりを読んで、涙がポタポタと音をたてて流れた。最近、涙腺が弱くなったみたいである。だけど、この本を読んで感動するような感性は、何歳になっても失いたくないと思う。
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