1月30日は「水仙忌」というのをご存じだろうか。「桜桃忌」といえば太宰治、「菜の花忌」といえば司馬遼太郎の命日だが、「水仙忌」は民俗学者・宮本常一(1907―1981年)の命日である。
先日、久しぶりに山口県の周防大島に出かけた。金魚の形をした周防大島の先っちょにある東和町が宮本常一の出身地である。この東和町に現在、宮本常一記念事業として宮本の蔵書、資料、写真などを保存し、公開、活用する施設が建設中である。
東和町の先の先に橋でつながった沖家室島がある。全国一の高齢化の町と言われる東和町の中でも、ひときわお年寄りの多い島である。ノンフィクション作家の佐野眞一さんは「大往生の島」と呼んだ。この島の泊清寺の住職、新山玄雄さんは、東和町が取り組んでいる宮本常一記念事業を支援する活動を続けている。
新山さんらの呼びかけで昨年9月、「宮本常一先生の本を読む会」が発足した。今年の水仙忌には、宮本常一が初代学長となり、没後休止していた住民自主講座「郷土大学」を再開した。旅する民俗学者・宮本は、亡くなる1年前に郷里に帰り、最期に取り組んだのは「郷土大学」での人材の育成だった。
前書きが長くなった。香月洋一郎さんは、学生のころから師宮本常一のあとをついて、海や山の古老から話を聞き続けてきた。その聞き書きの心得がこの本に込められている。
宮本の聞き書きの手引書の中に「どのような人に話を聞いたらよいか」という項目の1つに「相性のいい人」というのがある。また、あそこの主人は自分の都合のいい言い伝えしか話さんでしょう、と言われたら「それでいいんです。そうじゃなきゃ人間は生きていけません」と宮本は返したという。宮本は、人や人の集団の持つ暗さやつらさを熟知しつつも、それを楽観的といえるほどの明るさで包みこんで肯定し、前を見つめていた人だった、と香月さんは師を語っている。
人が人に話を聞くということは、まず、人が内に潜ませている不確定性をもそのまま受けとめてみる姿勢を抜きには行えない行為であろう、とも香月さんは記す。相手の生をまるごと肯定し、まるごと受けとめることが、聞き書きの初歩になるのかも知れない。帯に書いてあるように「聞き書きのもつあいまいさと可能性」を考えさせてくれる本である。
|