不思議な読後感がある。ナチスの収容所における非人間的な扱い、残酷さは、読んでいて辛い。だが、悲劇を描きながらも、透き通ったような文章には、明るさや、さわやかささえ感じさせてくれる。
「わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった『人間』を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし、同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」
この本は、ナチスの残酷さを告発する目的ではなくて、被収容者の心理分析に主眼を置いて書かれた。
「この若い女性は、自分が数日のうちに死ぬことを悟っていた。なのに、じつに晴れやかだった。『運命に感謝しています。だって、わたしをこんなにひどい目にあわせてくれたんですもの』彼女はこのとおりにわたしに言った」
収容所では、時には即席の演芸会のようなものが開かれたという。歌を歌い、詩を吟じ、ギャグを言い、いっとき何かを忘れる。演芸会に行くことの引き替えにスープにありつけなくなる人もいた。人間は空腹をいやすパンよりも、心を満たす音楽や知識を必要とすることもある。作者は、人間はどんな境遇におかれても、意味のある人生を作り出すことができると肯定する。どこか救いを感じるのは、そのためだろう。
そして、作者の希望を支え続けたのが妻への愛だった。
「妻が答えるのが聞こえ、微笑むのが見えた。まなざしでうながし、励ますのが見えた。妻がここにいようがいまいが、その微笑は、たった今昇ってきた太陽よりも明るくわたしを照らした」
「思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ」
人間は地獄のような収容所にいても、かくも愛を信じることができるのか。かくも、人生を肯定的にとらえることができるのか。人間とは何か、と考えてしまう。心がすさんでいる若者に、この本を贈りたい。
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