今から十数年前、東京の永田町で3年間ほど政治取材をしたことがある。竹下内閣が誕生したころで、元自民党副総裁の金丸信が竹下派の会長を務めていた。私の担当は竹下派。派閥の事務所に出入りしていたが、野中広務はまだ当選2回の陣笠議員だった。、その存在すら定かでないくらいで、話を聞くこともなかった。
京都府の一地方政治家から衆院議員になったのは1983年、57歳のときだから遅咲きの政治家だ。私が永田町を離れて広島に帰ってきてから、野中はあれよあれよという間に権力中枢へと駆け上がった。強権的かと思えば、反戦平和にこだわり、弱者に対してえもいわれぬ優しさを見せる。野中広務は不思議な政治家だといつも思っていた。その疑問点が、この本を読んで氷解した。
エピローグに衝撃的なやりとりが出ている。野中が引退を控えた2003年9月の自民党総務会。麻生政調会長(当時)がある会合で「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と発言したことを取り上げ、「君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」と怒りをあらわにした。野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった、と記している。
著者に対しても野中は、「君が部落のことを書いたことで、私の家族がどれほど辛い思いをしているか知っているのか」とうっすら涙をにじませてにらみつけたという。著者は「ご家族には申し訳ない」と謝り、「これは私の業(ごう)なんです」と言うと、野中はそれ以上、何も聞こうとしなかった。差別という重い十字架を背負いながら、権力闘争の修羅場をくぐってきた野中だけに、著者の気持ちが分かったのだろう。
元共同通信記者の著者は、取材・執筆に4年をかけた。部落差別という「中世以来の日本人の心の闇が凝縮してできた壁」との格闘だった。取材をやめようと思ったが、「存在の謎に強くひかれて」結局はやめられなかった、という。そのジャーナリスト魂に拍手を送りたい。
この本が、被差別部落へのいわれなき偏見をなくすことに役立ってほしいと願う。矛盾を抱えた野中広務という政治家が、さらに好きになったことを付け加えておきたい。
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