「こんなことを考えるのは、私だけだろうか。私の死がついそこまでやって来ているとする。たとえば、あと5分というところまで来ている。そんな末期の刻に、誰かがCDプレーヤーを私の枕元に持ってきて、最後に何か一曲、何でもリクエストすれば聴かせてやると言ったら、いったい私はどんな歌を選ぶだろう」
こんな書き出しに、思わず「私も考える」と言ってしまった。しかし、いざ「マイ・ラスト・ソング」をと考えた時、はっきりいってすぐには決めかねる。「最後の晩餐」なら、コメのごはんとみそ汁、卵焼きに、漬け物、と答えるが、歌となるとたくさんあって、迷ってしまう。歌謡曲もあれば、童謡や讃美歌もある。
久世さんも、迷いに迷い、「時代が変わればその都度の人の数だけ歌があり、ところ変わればまた一つずつ歌がある。まして、死ぬときに耳元で聞こえる歌ということになれば、それは私の人生そのものということになるかもしれない。無人島へ持って行く一冊の本とは訳が違う」という。そこで、久世さんの歌探しが始まるのである。
「アラビヤの唄」、「港が見える丘」、「時が過ぎゆくままに」などの歌謡曲から戦時中に流れた「ハイネケンスのセレナーデ」や「讃美歌312番」まで、忘れえぬ歌と人にまつわる思い出を名文でつづる。それが、見事に歌とその時代を浮かび上がらせる。
久世ワールドは読む人の琴線に触れる。
「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などの演出で知られる久世さんが、文芸春秋社の月刊誌「諸君!」に長年連載したエッセイ集。「諸君!」3月号が通算165回の連載で、「琵琶湖周航歌・女ひとり」Aが絶筆になった。久世さんはマイ・ラスト・ソングの結論を出さないまま、3月2日早朝、急死した。70歳だった。
私も、マイ・ラスト・ソングを決めておく年頃になった。探そう。 |