米原万里さんの本を買ったのは、この本が最初である。それから、この人の本にはまってしまった。軽妙で辛辣。おもわずクスっと笑ったり、ぐさっと胸を刺されるような気持ちになりながら、つい夜更かしをしてしまう。
まず、タイトルがいい。この著書以外にも「不実な美女か貞淑な醜女(ぶす)か」「シモネッタ&ガサネッタ」…。きわどい話やシモネタもこの人の手にかかると、スパイスのきいた美味な料理に仕上がるのだ。
彼女は、日本共産党衆院議員だった父、米原昶(いたる)氏の仕事の関係で、1960年から64年までチェコのプラハで過ごした。9歳から14歳までの多感な時期である。「在プラハ・ソビエト学校」に通い、後、ロシア語の同時通訳として活躍することになる。本著はプラハ時代の級友、ルーマニアの要人の娘だったアーニャの消息を、30年後に追ったドキュメンタリー作品である。
アーニャに再会して、投げつけるマリの台詞が胸に響いてくる。「だいたい抽象的な人類の一員なんて、この世にひとりも存在しないのよ。誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ。どの人にも、まるで大海の一滴の水のように、母なる文化と言語が息づいている。母語の歴史が背後霊のように絡みついている。それから完全に自由になることは不可能よ。そんな人、紙っぺらみたいにペラペラで面白くもない」
「週刊金曜日」編集部が発行した「一字一会」に、米原万里さんは「坂」と書いている。そして「登るときには希望があって、降りるときには…勇気がいる。まっすぐで平坦な道は退屈だ。わたしは起伏にとんだ道が好き」と注釈している。
米原万里さんは、今年5月25日、卵巣がんのため56歳の若さで亡くなった。才能の早逝を惜しむ。 |