2年ほど前、広島市に住むある高校教師に会った。広島と沖縄の交流活動に長くかかわっている多賀俊介さんという方である。その多賀さんから、被爆者のおばあちゃんの話を聞いた。高校生だった娘を原爆で失ったおばあちゃんが、つらい体験をした人を紹介するテレビ番組を見て「やれ、いとおしいのお」とつぶやいたという。何と広島の優しさ、温かさにあふれているではないか。すっかりこの言葉が気にいってしまった。
そして、竹西さんの随想集「『いとおしい』という言葉」を見て、あっと声を上げた。そう。「いとおしい」という言葉である。タイトルはエッセイの一編から取ったものだ。竹西さんは、イラクで殺害されたフリージャーナリスト橋田信介さんの妻幸子さんの言葉に心を打たれたのである。
《覚悟の夫の死に動じない、少なくとも外観は冷静な妻の「かなりひどい遺体でしたが、実際にこの目で見ていとおしく思いました」という発言は、この人の冷静が包み込んでいる優しさを知らしめて痛切であった。
「いとしく」ではない。「いとおしく」なのである。そこには夫のあわれみに対する自分の一方的な感情だけでなく、相手への思い遣りの深さがあり、信頼も敬意もこめられている単純ならざる感情だと思った。》
四季折々の風景、日々の暮らし、小さな生き物に目を向ける。王朝文学や和歌、小説にほのめく人間の哀感を見つめる。そして、失われかけた「日本語」への精緻な思い。穏やかで澄んだ語り口の中に、筋の通った強靭さを感じる。
竹西さんは被爆者の一人として、郷里・広島への思いは強い。その気持ちを表現すると「いとおしい」という言葉になるのではないか。この本のタイトルから、そんなことを思った。 |