「外務省機密漏洩事件」は、「西山事件」とも「沖縄密約事件」とも言われる。1972年の事件だから、もう35年前のことになる。
本書が最初に刊行されたのは1974(昭和49)年7月、中央公論社から。76(昭和51)年7月31日、控訴審で西山太吉氏に有罪判決。西山氏の最高裁への上告。78年5月31日、最高裁上告棄却の決定で西山氏の有罪確定。この間を新たな章に加えて、同年8月、増補版を出版した。そして、「沈黙をとく」というあとがきを新たに加えて、2006年8月に岩波現代文庫の一冊として「復活」した本である。
沖縄返還交渉で、アメリカが支払うはずの400万ドルを日本が肩代わりする裏取引。
時の内閣の命取りともなる「密約」の証拠をつかんだのが毎日新聞の敏腕記者だった西山太吉記者。それをもたらした外務省の蓮見喜久子事務官。「知る権利」と「国益」のどちらを優先するのかで議論になった。結局、2人は逮捕され、裁判で有罪になる。起訴状の「ひそかに情を通じて」という一言で、秘密電文をスクープした密約問題が男女のスキャンダルにすり替えられた。
著者のノンフィクション作家、澤地久枝さんは、資料を解きほぐし、裁判を傍聴して「密約」を追いかけた。澤地さんは本書で「沖縄密約で被告席に座るべきなのは、佐藤内閣で、裁くのは国民であるべきだった」という。そして「みごとなすりかえであった。私はおのれの無力さと、このすりかえ劇の圧倒的な仕上がりに、打ちひしがれる思いだった」と記している。
この「密約」はアメリカ公文書館の「極秘電報」の秘密解除(2000年及び2002年)、によって事実が証明された。当事者の1人、外務省アメリカ局長だった吉野文六氏が「密約」を認めても、外務省は否認のまま、現代に至っている。
解説で五味川純平氏が「ほとんどいつも法は無辜(むこ)の国民を威圧し、あまりにしばしば権力を濫用するものを庇護することに役立ち、行政官僚は常習的に国民をないがしろにし、国民を愚弄(ぐろう)することに優越感を覚えるかのようである」と指摘する。
単なる「昔の事件」ではなく、「権力の厚い壁」という状況は今も変わっていない。そのことが、この本を読んでひしひしと伝わってくる。 |