派遣、パート、アルバイトなど非正規労働者の問題が深刻化している。評者のように大学に籍を置き、日々、就職に苦労している学生を目の前にしていると問題の大きさを肌身に沁みて感じる。大学生といえども一歩つまづくと、本書の副題である「すべり台社会」を一気に底辺まですべり落ちる危うさがある。かつての若者のように自らの選択なら問題ない。そうでないところに今、日本社会が立ち至っていることを本書は具体的な事例をまじえながら明快に示している。
パートもアルバイトもかつてからあった。プータローもニートもいた。ほんの最近までそれは若者の一つのスタイルだった。しかし、一定の年齢になると、こうした若者は自然に既存の社会に吸収されていた。「まじめに働き、結婚し、子どもをつくり、家を建て…」。こうした平凡さに反発する若者がいてもそれは“自己責任”の世界だった。今、その既存の社会が壊れ、平凡さが失われかけている。
いつからこんなことになったのか。本書は1990年代初頭の日本経済のバブル破裂に伴う「失われた10年」が大きいという。日本企業は痛手から立ち直るため体質変革に努めた。コストのかかる正規労働者を極力抑え、派遣という名の非正規、「日雇い」労働者を多用するようになった。あおりをもろに受けたのが若者である。それでなくても甘やかされて育った若者は、きつい仕事を避け、派遣の提供する安易な仕事に走った。4年、5年はそれもマスとはならず目立たなかった。だが、10年、15年になって積もり、積もった付けがついに噴き出した。
者の言う「すべり台社会」とは、雇用、社会保険、生活保護といったセーフティネットに穴が開き、一度転んだらどん底まで落ちて行ってしまう社会のことである。最も深刻なのは雇用ネットに大穴が開いたこと。穴が開いたままで、弱肉強食、“勝ち組”“負け組”がはっきりする米国型社会を後追いする。穴の数はますます増え、ほころびはますます大きくなる。ネットの張り替えのために私たちはどうしたらいいのか。その方策を本書は「反貧困」として模索している。 |