著者と最初の出会いは、直木賞受賞作の「総会屋錦城」だった。それから、「落日燃ゆ」「小説日本銀行」「官僚たちの夏」「粗にして野だが卑ではない」「もう、きみには頼まない」など、経済小説の分野を確立した作品を次々読んだ。
城山さんは終戦三カ月前、帝国海軍の志願兵となった。そこで目にしたのは、軍隊組織の腐敗、国家の大義がもろくも崩れるありさまだった。その痛切な実感から「組織と個人」を終生のテーマにしてきた。権力にこびない凛とした姿勢は、描いてきた気骨のある人物に重なる。「個人情報保護法」阻止のために論陣を張ったのも、戦争を食い止めるためには言論、表現の自由が不可欠という立場からだった。
昨年3月に亡くなった城山さんが、亡き妻への思いをつづった遺稿がこの本である。2000年2月、妻容子さんに先立たれた城山さんの悲しみは「そうか、もう君はいないのか」というタイトルからにじみ出ている。
学生時代の偶然の出会いを「天から妖精が落ちて来た」と書き、「容子の手を握って、その時が少しでも遅れるようにと、ただただ祈るばかりであった」と最後の別れまでを、
率直につづっている。夫婦の形はいろいろあるだろうが、けんかをしたこともないというこの城山夫妻の仲の良さは、ほとんど脅威に思える。
没後、仕事場の書斎を整理していて遺稿を見つけた二女の井上紀子さんが、「父の遺してくれたもの―最後の『黄金の日々』」を本の最後に書いている。「通夜も告別式もしない、したとしても出ない、出たとしても喪服は着ない。お墓は決めても、墓参りはしない。駄々っ子のように、現実母の死を拒絶し続けた…」。「子や孫は慰めにはなっても代わりにはなれない。ポッカリ空いた穴を埋めることは決してできなかった」。母が亡くなった後、父と過ごした日々をたんたんとつづっているのに、読んでいて涙があふれてきた。
この夫婦の真似はできそうにない。せめて、城山さんが好きだった言葉をかみしめたい。「静かに行く者は健やかに行く 健やかに行く者は遠くまで行く」 |