福島第一原発の事故から8ヵ月近くなるが、いまだに収束しない。そうした状態の中で、原発の是非論が沸き起こっている。当然のことだろう。
国や電力会社がこれまで言い続けてきた「安全神話」は崩壊した。それでも、「原発がなくなると電力が不足する」「原発はクリーンなエネルギー」「原発はコストが安い」という理由で原発は必要だという声を聞く。本当だろうか。30年前から原発を取材してきた私は、もやもやとしたものがずっと残っていた。その疑問に明快に回答をしてくれたのが本書である。
「私はかつて原子力に夢を持ち、研究に足を踏み入れた人間です。でも、原子力のことを学んでその危険性を知り、自分の考えを180度変えました。原子力のメリットは電気を起こすこと。しかし、メリットよりもリスクのほうがずっと大きいのです。しかも、私たちは原子力以外にエネルギーを得る選択肢をたくさん持っています」
京都大学原子炉実験所の助教である著者は、そう書いている。40年前から危険性を訴え続けた研究者は、ずっと異端の扱いを受けてきた。そして、懸念が現実になった。
原発の大事故が起きたことで、改めて著者の訴えが見直されている。
「原発を止めても困らない」「原発のコストは安くない」「石油より先にウランが枯渇する」「大量の二酸化炭素を出す原子力産業」「核燃料サイクル計画は破綻している」「100万年管理が必要な放射性廃棄物」「地球を温め続ける原発」「地震地帯に原発を建てているのは日本だけ」…
それぞれの項目を読めば、これまで国や電力会社が言ってきたことがいかに「ウソ」であるかが分かるような気がする。例えば、原発の設備利用率は約70%、火力発電所は約48%。火力発電所の稼働率を7割まで上げれば、電力は十分間に合う。つまり「原発を止めても困らない」のである。
原発はよく「トイレのないマンション」といわれる。原発は膨大な「核のゴミ」を生み出している。ウラン鉱山からウランを掘ってくる段階でゴミが生まれる。次にウラン濃縮、加工の過程でゴミが出る。さらに原子炉を動かせば、放射性物質を大量に含んだ使用済み核燃料が背負いきれない負債となって出る。「廃炉」にするにも原発自体が巨大な「核のゴミ」と化す。核のゴミを処分する方法が確立されないまま、放射性廃棄物は増え続けているのである。 低レベル放射性廃棄物は300年。使用済み核燃料を再処理してウランとプルトニウムを取り出した後の「高レベル放射性廃棄物」は、何と100万年管理し続けなくてはならないのだ。
この本を読めば、私たちは便利な生活を維持したいという一念に駆られて、原発という人間の能力では処理しきれない技術を進めてきたことが分かる。福島の事故はそれを見せつけてくれている。危険な原発はいらない。
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