「永遠の0」の0(ゼロ)とは、海軍零式戦闘機、つまり「零戦」のことである。もっとも、そのことを知ったのはこの本を読み始めてだった。太平洋戦争中、日本が世界に誇る戦闘機として名をとどろかせた零戦は、呉市の大和ミュージアムに展示されていた。10年前ごろ見たのだが、思ったより華奢だったいうイメージがある。
「娘に会うまでは死ねない妻との約束を守るために」。そう言い続けていた零戦パイロットの宮部久蔵が、なぜ神風特攻隊の一員として散華したのか。終戦から60年の夏、孫の佐伯健太郎と慶子の姉弟が祖父の生涯を調べるところから物語がスタートする。
祖父の戦友や関係者を訪ねて話を聞くと、「戦場から逃げ回っていた臆病者」であったり、「天才的な操縦者」「命の恩人」であったり。侮蔑と称賛。健太郎は戸惑いながらも、祖父の実像に迫っていく。祖父は愛する者のために、なりふりかまわず生き残ろうとした。本当はその方が強い意志の持ち主なのに。
この戦争に巻き込まれた軍人、国民たちはどう戦い、どう生きたのか。それにしても日本の軍隊は、どうしてそこまで人命軽視の組織だったのだろうか。特攻は兵隊を命の道具のように扱った象徴のように思える。零戦は攻撃には強いが、防御には弱い。逆に米軍戦闘機の操縦席は人命を守るために厚い鉄板で守られていた。物量の豊富なアメリカの方が、人命を大切にしているのだから、勝負になるはずがない。
戦前の陸軍大学校と海軍大学校は、東大以上に難関だったらしい。そこを出た軍のエリートは今の日本のキャリア官僚と通じるところがある。稚拙な作戦で大量の戦死者を出しても、誰も責任を取らなかった。ひたすら責任を他人に押し付けようとする。
こんな一節がある。「日本は民主主義の国となり、平和な社会を持った。高度経済成長を迎え、人々は自由と豊かさを謳歌した。しかし、その陰で大事なものを失った。戦後の民主主義と繁栄は、日本人から『道徳』を奪った―と思う。今、街には、自分さえよければいいという人間たちが溢れている。60年前はそうでなかった」
零戦を通して戦争の実態が浮き彫りになる。大空の戦いに挑戦した宮部久蔵の生きざまは胸を熱くする。そしてエピローグでは驚きの展開が待ち構えている。なぜ特攻で死んだのかを知ったとき、涙があふれそうになった。筆者のデビュー作だが、ここまで読者の心を鷲掴みにする筆力に脱帽である。
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