書店に立ち寄った時に、タイトルに目に入った。しかし、買い求めてしばらく積んでいたら「本屋大賞に選ばれた」というニュースが飛び込んできた。それからまた、しばらくして読み始めた。ピアノが羊毛(ハンマーのフェルト)と鋼の弦(ピアノ線)を打ち鳴らす構造になっていることをこの本で知り、ちょっと変わったタイトルの意味も理解した。
ピアノの調律に魅せられた一人の青年が、調律師として、人として成長する姿を温かく綴った祝福に満ちた小説―と紹介されている。主人公は北海道の森の中で育った純朴そのものの若者、という設定だ。ピアノの音と森の中の音が聞こえてきそうな風景が紡ぎ出される。調律師という音楽関係者以外はあまり縁のない世界を描いているので、その世界に知らず知らずに引き込まれていた。
本の中には、はっとするような言葉が出てくる。その一つに、「小説家の原民喜が、こんな文体に憧れている」というのがあった。
「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」
文体を音に替えれば、理想とする音になるという。原民喜といえば広島で被爆し、小説「夏の花」で知られている。文章を書いている身としては、しびれるような言葉である。ほかにも「ピアノで食っていこうと思っていない。ピアノを食べて生きていくんだよ」というのもあった。
読後感は良かったが、何か物足りなさも感じた。昨年、芥川賞を受賞した「火花」の時も同じような思いがあった。「ごく普通の作品を、プロの本屋がなぜ大賞に選んだのだろうか」という厳しい声もある。近年はエキセントリックな作品が目立つので、「静謐な筆致」という表現が当たっているこの小説が新鮮に感じるのだろうか。
もう一つ言えることは、基本的に「良い人しか出てこない小説」を受け入れることができるか否かで、評価が分かれと思う。世の中は、IS(イスラム国)の残虐な行為を始め、きれいごとではすまない出来事であふれている。だからこそ、この小説の世界がいとおしいのかもしれない。
|