「短編集」で「直木賞受賞作」というのに食指が動いた。そして、もう一つの理由が、表題の「海の見える理髪店」である。離島に生まれ育ったせいか、「海」に対して知らず知らずに反応する習性があるようだ。
表題と「いつか来た道」「遠くから来た手紙」「空は今日もスカイ」「時のない時計」「成人式」の6編からなる。著名の作家だから、それぞれの作品とも練達の作品ばかりといえる。人生の喜怒哀楽を紡いだ物語は、既視感がある。主人公の感情に共感できる部分が多くあるのかもしれない。
その中でも、「海の見える理髪店」が一番心に残った。「その理髪店は海辺の小さな町にあった。駅からバスに乗り、山裾を縫って続く海岸通りのいくつめかの停留所で降りて、進行方向へ数分歩くと、予約を入れた時に教えられたとおり、右手の山側に赤、青、白、三色の円柱看板が見えてくる。
枕木が埋められた斜面を五、六段のぼったところが入り口だ。時代遅れの洋風造りだった…」
さりげない文章に、小さな床屋のたたずまいが鮮やかに浮かんでくる。事業に失敗し、人を殺め、離婚、そしてこの町に15年前に開いた理髪店。かつて有名な俳優の髪を切っていたこともある店主の人生が、若い客に語られる。有名な俳優の名前は出ないが、すぐに「高倉健」だと想像できる。
若い客の僕は、「来週、結婚式がある」と店主に説明する。店主は「おめでとうございます」と祝福する。そう、書かれてはいないが、親子だと分かる。息子である若い客は、父親の理髪店を探し、予約して訪ねてきたのである。帰り際に店主がこんな言葉をかけて物語は終わる。「あの、お顔を見せていただけませんか、もう一度だけ。いえ、前髪の整え具合が気になりますもので」。
読後も余韻が残るのは、著者の筆力だろう。しばらくの間、若い客と店主の姿が脳裏に映った。短編集を通じて感じたのは、人間の寂しさである。しみじみと読書をするのもいいな、と思わせる短編集である。
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