若いころ、日記をつけようと思い立ったが、文字通り「三日坊主」。飽きっぽくて長続きしない性格に、自己嫌悪に陥ったものである。ところが、それなりに年を重ねた8年前から始めた日記が、今も続いている。本屋で見つけた「3年日記」が性に合ったのかもしれない。
野菜作りをしているが、いつ苗を植え、いつ収穫したかなど、前年の日記帳で確かめることができる。物忘れが多くなってきた身には、まるで「玉手箱」のような有難い存在になっている。ただ、毎日書くのを忘れて、3、4日前の出来事を思い出すのに苦労することがある。「よく雨が降る」などと一行で終わることもある。兎にも角にも、続けることに意義がある、と割り切ることにしているのが、続いている理由だろう。
自分が日記をつけていることで、この本が目に留まった。それに、タイトルのユニークさもあった。まえがきに「三島由紀夫は日記に、『尾籠(びろう)な話で恐縮だが』と書いた」とある。そこから付けたタイトルだと納得。「日記、それは自意識との戦い」とあるのも納得する。
それにしても、著者のユニークさはタイトル通りである。漫画、小説、演劇などを楽しむ奔放さ、オタクっぷりがあふれかえっている。1人暮らしの自宅を「火宅」と呼び、女性なのに「俺」と書く。母とケンカ、弟にののしられ、祖母とテレビ談義、仲間とのしっちゃかめっちゃかの会話。心に思ったことやキラリと光る文、夢、妄想が縦横無尽に展開される。例えば、
「ばあちゃんと俺日記。―また祖母に『あなたのおなかじゃ、机と椅子のあいだに入らないわね』と言われる。 殺! と思っていいか、ばあちゃん。」
「男性作家が書く女性キャラ、女性作家が書く男性キャラは、だいたいにおいてドリームである」
いつも、日々のできごとをたんたんと記している私の日記と、何と違うことだろう。著者の作品は、直木賞を受賞した「まほろ駅前多田便利軒」を読んだのが最初だ。以前、この欄にも「仏果を得ず」の書評を書いている。この日記を読んで、人気作家の思考回路のすさまじさに驚いた。才能のある人は日記一つ見てもすごい、と思った次第である。
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