裏表紙に「最後まで読んだらもう一度読み返したくなる傑作心理サスペンス!」とある。何の気なしに読んだその言葉が、読み終わって納得した。著者の意図したトリックに見事に引っかかっり、もう一度読み返してしまったのである。
助産院に勤める庵原紗英は、不妊と夫の浮気に悩んでいた。彼女の唯一の拠り所は、子どものころから最も親しい存在で「さえ」「なっちゃん」と呼び合う柏木奈津子だった。その2人の関係が恐ろしい殺人事件を呼ぶ。紗英の夫の他殺死体が発見され、犯人が逮捕される。その事件をきっかけに2人の運命は大きく変わっていく―そんなあらすじである。
「○○の証言」や紗英、奈津子の証言の形で現在、未来、過去が複雑に絡み合って物語は展開していく。最初から違和感というか消化不良感があった。この違和感は何だろう、と思いながら読み進めた。そして、最後に、「えーっ、まんまと騙された」ということになった。まさか、紗英と奈津子が母と娘だったとは。友達親子がお互いに名前をちゃん付けで呼び合うことから、友達同士だと勘違いしていた。いや、勘違いさせるように著者が意図したものである。
そういえば、紗英と奈津子の関係のような母娘はけっこういる。「母になり切れない母親と、母親から卒業できない娘」。お互いに依存し合って生きている、現代の抱える問題点も提示している。
文章上の仕掛けによって、読者のミスリードを誘う手法を「叙述トリック」という。叙述トリックといえば、デジャビュ(既視感)を感じる。以前この欄で紹介した歌野晶午著「葉桜の季節に君を想うということ」という作品だ。この時も、巧妙な罠にまんまと乗せられてしまった。
芦沢央という若い女性作家の作品は初めて読んだ。本屋で物色中に、この本のタイトルにつられた。次はどんなトリックが待ち構えているのか、ミステリーファンとして彼女の作品を楽しみにしている。
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