「こんなところに日本人」というテレビ番組がある。グローバルな時代、世界中のいたるところに日本人が出かけ、住み、活躍している姿を追っている。今でこそ海外渡航は当たり前になっているが、ほんの150年前では海外は夢の世界だった。
著者は、ニッポン放送の放送記者時代に、取材や旅行で海外に出かける機会が多く、「最初の渡航者」「最初の居住者」たちの足跡を追い始める。資料や文献をあさり、ジャーナリストらしく日本各地に足を運んで調べ上げ、「そこに日本人がいた―海を渡ったご先祖様たち」を上梓した。それから、「世界は球の如し―日本人世界一周物語」「明示を作った密航者たち」「お殿様、外交官になる―明治政府のサプライズ人事」などをものしてきた。
今回は、ドイツ、イギリス、アメリカの3カ国で現地の女性と恋に落ちた「サムライ留学生」9人を取り上げている。武家社会は、家と家の結びつきが優先され、親や周囲がセットした縁談を無条件に受け入れる時代だった。ところが、渡航した先は個人の意思が尊重され、旧習の呪縛から解放され、自分の意思で恋に走る者が現れたのも必然だろう。「愛に国境はない」を地でいったのだ。
彼らの恋の「戦績」は、結婚までこぎつけたケースが5件、短期間での離婚を含めて実らなかったのが4件。アメリカ人女性メリーと結婚した新渡戸稲造もその一人である。人種差別、宗教的価値観を乗り越え、メリーとの結婚生活は生涯睦まじいものだった。「武士道とキリスト教という一見、不調和に思えるものを見事に調和させ、(一部略)明治の中頃にこれほど理知的な判断のもとに結ばれた日本人男性とアメリカ人女性のカップルがいたことに驚きを禁じ得ない」と著者は記している。
日本に妻や婚約者がいながら、留学先の女性と恋に落ち、結婚にまで発展させたケース。外国で結婚していながら単独で帰国し、日本女性と新たな家庭をもったケースもある。どちらも、男性中心のサムライ社会に育ち、自己都合で妻らに離婚をいいわたすことを、さほど深刻と思っていなかったようだ。
黄色人種への露骨な差別や偏見、日本や日本人に対する理解不足による根拠のない誤解、文化の相違などカルチャーギャップが大きかった時代。日本が国際社会の一員となる過程で、避けて通れない関門のようなものだった。著者は、サムライ留学生は恋愛を通じ、日本人の国際化を推進した「時代の開拓者」という。
本の最後に、参考・引用文献の一覧がある。膨大な資料・文献に目を通し、当時の欧米社会と日本社会の異文化衝突の実相を、「国際恋愛」から明らかにしていることが興味深い。
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