「ふたりを単位にして始まった家族は、子供を産んで巣立ちを迎え、またふたりに戻る。そして、最後はひとりになって記憶も散り、家族としての役割を終える。人の世は伸びては縮む蛇腹のようだ」
本文にこんな言葉が紡がれている。「家族とは」を表現したら、まさにこうなるのだろう。悲しいが、老いは誰にでも間違いなく訪れる。だが、見える風景は誰も同じではない。北海道を舞台に、死に直面した家族の在り方を描いた連作短編である。
年老いた夫婦の猛夫とサトミを巡る、長女の智代と夫・啓介、啓介の弟・涼介と妻の陽紅、次女の乃理と夫の徹、猛夫とサトミがフェリーで名古屋に旅した時に知り合ったサックス奏者・紀和、猛夫の姉・登美子―5つの章ごとに主人公は違うが、いずれも猛夫・サトミ夫婦とのつながりが絡んで物語が進んでいく。母と娘、父と娘、姉妹、夫婦の間には、様々な想いが交錯する。
認知症の母と、老いても横暴な父。両親の老いに戸惑う姉妹は、二世帯同居、老々介護などで葛藤する。姉妹の仲はなかなか厄介でぎくしゃくしている。それぞれ夫との仲も微妙に揺れ動く。そんな“心のひだ”を著者はたんたんと抉り出していく。その筆力には脱帽と言わざるを得ない。
高齢化時代、多くの人が老々介護で闘っている。私も、2年前に母が逝った。認知症が進み、老健施設に入れて毎週見舞った日々がある。まだら模様の認知で、話していても私が分かったり分からなかったりすることがあった。そんなことを思い浮かべながら読んだので、切ない気持ちになった。老いることは、哀しくて残酷だと思う。
それでも、筆者はこんな言葉を用意している。登美子が認知の進む妹・サトミに「サトちゃん」と精いっぱいの慈愛を込めて白髪頭を優しく撫でながら言う。「だいじょうぶだから。安心して忘れなさい。わたしが代わりに覚えておいてあげるから」
タイトルの「家族じまい」は、“終わる”のではなくて、自分の意思で“終える”こと。つまり“仕舞い”をつけることだという。大人の諦観と慈愛に満ちた傑作だと思う。
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