一言でいうと「不思議な小説」である。日常の一断面を切り取った小さな物語が連なる。読みながら、いつか登場人物が絡み合って、何かしらの収れんに至るのだろうと思っていた。だが…。
市岡謙人という人が事故で亡くなる一文から始まる。読み続けていくと、その死者がチラッと出てきたりする話がある。「あれ、この名前は前に出てきたことがある」とページを戻して確認するが、そのつながりはあまり意味を持たない。古代の人の一断面から現代の話まで、生者も死者も、さまざまな時空にさまざまな人物が登場し、揺らぐ感情が紡がれていく。
学校をさぼる人、雨音に耳を澄ませる人、入浴剤に浸る人、掃除ばかりしている人、情事にふける人…老若男女100人以上が登場する。著者は、米国の写真家ソール・ライター(1923〜2013年)の写真展が着想のきっかけだった。「1940年から60年代ぐらいのニューヨークのスナップで、人々の生活まで見えてくる写真が不思議に思えた」。そこから、「断片」をつなぐ手法を思いついた、という。
まさに「断片」「断片」である。「著者に聞く」という新聞紙面に「人は言葉なしに生きてはいけない。しかし、言葉という認識の枠組みを得たことで見えなくなってしまった世界もあるのではないか―。言葉でできている小説によって、言葉を獲得したがゆえに失ったものを書こうとする無謀な闘いですよね」と記している。本書は、そんな問いと正面から向き合った意欲作である。
脈絡のない物語に、途中で投げ出した読者もいるだろう。読み終わって、作者はいったい何を言いたかったのだろう? と首をひねった人もいただろう。私自身、半信半疑で読み終え、「世の中はこんな断面の集まりでできているのだろう」という思いに至った。実験的な小説だが、面白いと思うか思わないかは人それぞれではないか。
著者の言葉から私は、聖書のヨハネ伝第1章の冒頭を思い浮かべた。「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらず成ったものは何一つなかった…」
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