「人間は社会的動物である」と言ったのは、古代ギリシャの哲学者・アリストテレスとされている。人は1人では生きられない。絶えず誰かとつながって初めて、人間らしく生きられる。「つながり」という社会なくして個人は存在しない―この本を読みながら、よんなことを考えた。
「1月 中林継男、葬儀に出る」から始まり、「12月 田渕海平、動く」まで12カ月の人生模様が描かれる。中林継男は後期高齢者の75歳、同級生の葬儀に参列し、老い先短いことを実感する日々。「オレオレ詐欺」の片棒を担がれそうになる。田淵海平は22歳の大学生。朝寝坊から卒論を出し損ねて、就職の内定を取り消される。恋人からも去られ一気に転落する日々。この2人をつないだのが「地縁」だった。
「片見里出身」ということ以外に接点のなかった2人が出会うことで、足踏みしていた2人の人生が動いていく。留年し就活もしないダメ学生の海平だが「いるだけで周りをあかるくできる」キャラを持っている。継男は父親の死で大学を中退し、勤めていた会社が倒産、ずっと独身のままという冴えない人生だが、友達を思いやり世話をする優しい老人である。こうした市井の人たちの何気ない生活にも、筋書きのないドラマがある。
理不尽な世の中は生きづらい。しかし、不器用にもがきながらも、真っ正直に生きていればささやかな喜びも見つけることができる。人との縁、場所との縁(地縁)という「つながり」が心を豊かにさせる。この物語は人間の匂いや体温、湿気まで感じさせられる。これが著者の「小野寺ワールド」なのだろう。名もなき人たちへの「賛歌」にも思える。
荒川は東京の下町、片見里は聞きなれない地名だが「地方の中途半端な規模の町」という設定だ。片見里にある善徳寺の住職・村岡徳弥、探偵社に勤める谷田一時、継男の同級生で親友の星崎次郎など、登場する人物もほのぼのとして好感が持てる。
私自身、瀬戸内海の島育ちということもあって、著書の「人の縁」、「地縁」については共感するところが多い。コロナでギスギスしている世の中だが、読み終えてほんわかとした気持ちになった。心に染み入る作品である。
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