第167回の芥川賞受賞作である。芥川賞といえば、純文学の新人登竜門という位置づけだ。直木賞は大衆小説、芥川賞は純文学対象と言われるが、「純文学と大衆文学の境は」と問われると私には良く分からない。ただ、直木賞受賞作は間違いなく面白いのに対し、芥川賞の作品は首をひねることが多いというのが、私の個人的感想である。
ということで、この作品も余り期待をかけずに読み始めた。何だか不思議な小説だが、ついつい引き込まれていった。物語は、どこにもありそうな会社の職場が舞台になる。
仕事が一人前にできない芦川さんは、はかない女の子キャラで体調を崩しがちなのに、翌日は手作りのお菓子を持ってきて同僚にふるまう。同僚から好感をもたれ、管理職の男性から保護されるような存在になる。そう、確かに「かわいくて弱さという仮面をかぶった女性」はいる。仕事のできる女性からみると、こんな嫌な奴はいないと思うだろう。
仕事も職場恋愛もそこそこうまくやっている二谷さんは、芦川さんの弱い面が好きになり、ひっそりと付き合う。彼女からおいしい料理を作ってもらうが、実は食事自体に興味がなく、「おいしい」と言いながら食事をすることに疲れを感じている。
芦川さんの一つ下の押尾さんは、仕事ができて頑張り屋。当然のごとく芦川さんが嫌いで、二谷さんがゴミ箱に握りつぶして捨てたお菓子を拾って、芦川さんの机に置くという意地悪をする。押尾さんと二谷さんは、残業後に居酒屋で飲み合う仲。こうした同世代の3人の恋愛や、職場の人間関係が織りなすさまざまな日常がつづられる。
3人のほかに、どこの職場にもいそうな人たちがからむ。食事に同僚たちを連行する支店長、同僚女性のペットボトルに口を付ける副支店長、マイホームパパの価値観にどっぷりつかる先輩の藤さん、正義感にあふれるパートの原田さん…。こうした職場の人間関係の物語が、淡々と進行していく。そして、捨てられたお菓子が芦川さんの机に置かれていたことが事件になり、事態は思わぬ方向に転がっていく。
誰もが自分の思う正しさを、無意識のうちに押し出している。そして、気づけば、納得がいかなくても無難に振る舞うように生きている。表面的な人間関係の裏で、心の奥底に潜む感情を著者はこれでもかと書いている。自分自身、会社に勤めていた経験があるので、思い当たる部分も多々ある。人間は水面下で何を思っているのか分からないな、とこの作品を読みながら思ったことだ。
最初に書いたように不思議な小説で、「何を言いたいのか分からない」と思う読者もいるだろう。読後感がザワっとする不気味な小説でもある。少なくとも、「おいしいごはんが食べられますように」というタイトルと、物語の中身がマッチしないと思う読者は多いのではないか。それでも、私は芥川賞受賞作品の中では、味のある作品だと評価したい。
|