年の瀬である。2002年も大変な年だった。もっとも最近、平穏だったという年にお目にかかれない。これからの世の中、年末に振り返る度に毎年「大変な年だった」と言うようになるのだろうか。
ところで、今年を振り返ってキーワードを探すと、「田中さん」に行き着いた。まずはマッキーこと「田中真紀子さん」。1月30日の田中真紀子外相の更迭劇が、波乱の年の幕開けになった。真紀子外相が「伏魔殿」と称した外務省の改革は、単なる「わがままおばさん」によって混乱を招いただけだった。それでも、歯切れのいい真紀子節に夢を託していたのか。外相を更迭した小泉内閣の支持率は急降下した。「真紀子アンド純一郎」のコンビでブームをつくって誕生したのが小泉内閣だから、当然の帰結である。
鈴木宗男氏と真紀子さんの壮烈なバトルは、一時的に真紀子さんに軍配が上がった。しかし、真紀子さんに秘書給与疑惑が持ち上がり、真紀子さんは議員辞職に追い込まれた。やっと国民も真紀子幻想から覚めたのではないか。
続いての田中さんは、ヤッシーこと「田中康夫長野県知事」。この人、一言で称するなら「変な小説家」である。「守旧派」の県議会とバトルを繰り返し、不信任案が可決されると、議会の解散ではなく、失職の道を選んで再度、知事選に出馬。圧倒的な勝利を収めた。ダム建設中止が象徴的だが、古い体質を壊すには、これほどの強烈な個性が必要なのかも知れない。人間的には好きになれないが、時代が要請した知事ともいえるのだろう。
今年のビッグニュースは何といっても小泉首相の電撃的な訪朝による「日朝首脳会談」である。拉致被害者5人の帰国とその後の日朝間の膠着状態は、みなさんがご存知のところ。この日朝首脳会談をお膳立てしたのが外務省の田中均アジア太平洋局長(現在外務審議官)だ。
締めは、すっかり「国民的アイドル」になったノーベル化学賞受賞の田中耕一さん。控えめで、えらぶらず、自然体で見ていてホッとする、いかにも普通のサラリーマンというところが人気の秘密。出世や金より研究生活を望む生き方に国民が共鳴しているのである。イヤになることばかりの世の中を救ってくれた田中耕一さんに、乾杯。
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