最近の世の中、きな臭いと思うのは杞憂だろうか。
自民党にとって長年の懸案だった有事法制が成立した。有事法制に対しては、国民の多くが必要だと思っている。私自身、有事に対して備えることは当然だと考える。だが、有事法制については、一番大事な国民保護法がまだできていない。有事の規定もあいまいなままだ。それなのに、北朝鮮の脅威をあおって、一気呵成に突っ走ろうというのがイヤな感じである。
北朝鮮の貨客船「万景峰号」の新潟港入港に対しても、「断固入港反対」の声が沸騰している。万景峰号に対しては、法律に基づいて厳正な検査をすればよいことで、入港まで反対しなくてもいいのではないか。入港に反対しないと非国民みたいないい方をされると、「いつかきた道」を思い出してしまう。
北朝鮮の拉致、核開発問題では、安倍晋三官房副長官のように強硬な意見を吐く人がもてはやされている。時代の流れは、間違いなく右傾化といえる。デフレ不景気、閉そく感の漂う世の中。はっきりとものを言うスカッとした言葉がほしいのだろう。
民主主義というのは多様な意見があることが認められる社会だ。多数決といっても少数意見も尊重されると言ってもよい。たとえ有事になっても、物だけは言える社会であってほしい。「非常時に不謹慎だ」と言論が封殺されることがあってはならない。
正々堂々と意見を戦わすことが保障されておれば、「右」だろうと「左」だろうとかまやしない。私の好きな童謡詩人、金子みすゞの詩「私と小鳥と鈴と」にこうある。
「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがつて、みんないい。」
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