今年の流行語大賞候補に間違いなくノミネートされそうなのが、小泉首相の「人生いろいろ」と、渡辺恒雄巨人軍前オーナーの「たかが選手が」だろう。
小泉首相は、勤務実態がないのに厚生年金に加入していた問題で「人生いろいろ、会社もいろいろ」と言い放ち、「三十年以上前は、そういう太っ腹な社長、支援者がたくさんいた」とはぐらかした。この言葉が、参院選で自民党が敗北する「潮目」になった。
もう一つの「たかが選手が」も、プロ野球の再編問題で「潮目」になった言葉である。渡辺恒雄氏、通称ナベツネさんは、オーナーたちとの会談を希望する選手会の古田敦也会長に対し「無礼なこと言うな。分をわきまえないといかん。たかが選手が」と激怒し「そんなことは野球協約のどこにも書いていない」とすごんでみせた。
この暴言、選手の後ろには多数のファンがいることを忘れている。選手をバカにすることは、ファンをバカにすることである。昨年秋、原辰徳前監督の辞任会見で、ナベツネさんは「読売グループ内の人事異動」とまで言った。「独裁者」にすれば、巨人の監督といえども、一使用人なのだろう。
なぜこんな、おごり極まる言葉が出るのか。読売新聞のトップが巨人軍を「新聞を増やすための拡財」くらいにしか思っていない証左だろう。プロ野球は「日本の文化」という認識が欠けている。
日本のプロ野球は巨人軍の人気に頼ってきた。セ・リーグの他球団は巨人戦のテレビ放映権料を当てにせざるを得ないのが現状だ。そうした中で、ドラフト制度も巨人軍の都合のいいようにねじ曲げられた。巨人軍は米国と同じ「一国行動主義」、と批判されても仕方あるまい。
ただ、ここのところ、巨人戦の視聴率が下がっている。この調子ではスポンサーがつかなくなる恐れがある。「おごる平家は久しからず」である。
この際、新しいお酒に合った、新しい皮袋を作ろう。
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