暖冬といわれていたが、そう単純にはいかない。1月、2月は、平年通りの寒さになった。2月1日には寒波が押し寄せ、広島地方の平野部でもドカ雪となった。
もっとも、私が小さいころ(昭和30年代)には、瀬戸内海の島でも一冬には何回か雪が積もり、小学校の校庭で雪だるまを作ったり、雪合戦をした思い出がある。そのころに比べれば雪は少なくなっている。これも地球温暖化の影響だろう。
人が亡くなるのは、この寒い時期と、真夏の暑い時期とよく言われる。高齢者が厳寒、猛暑に弱いのは、さもありなんと思う。なぜこんな話を始めたかというと、この1月に4回も葬儀に出席したからである。うち、3人は親戚、もう1人は大変お世話になったおばちゃん。いずれも80―90歳なので、歳に不足はないが、訃報を聞いたとき「しまった」と悔やむことが多い。
お世話になったおばちゃんは、6年間近所に住んで、私の子どもが小さかったころ、孫のように面倒を見てもらった。昨年末、入院していると聞いて、病院に見舞いに行こうと思っていた。だが、元気そうだというので、正月明けに延ばした。ところが、1月2日、突然の訃報である。もう一度、話を聞いておきたいことがあったのに、と悔やんでももう遅い。思い立った時に、さっと動くことの大切さを思い知らされた。反省である。
親孝行をしようと思った時には、親はもういないもの、とよく言われる。まさに、その通りである。親が長く患い、その世話をした子どもは、親の死を比較的穏やかに迎えることができる。親の面倒を見るということは、自分が納得するためと言ってもいいかもしれない。ところが、親が若くして突然死んだりしたときは、その後ずっと悔やみ続けることになる。
いずれ、自分もその時がくる。これからの余生をどう生きていこうか。そんなことを葬儀の席で考えた。4日は立春。寒い中にも、春の兆しが少しずつ見えてくる。それを見つけながら、暖かい春に思いをめぐらすこの時期も悪くない。
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