「兄弟は他人の始まり」という言葉もある。それにしても、花田家の若貴兄弟の仲違いは、気になって仕方がない。
さかのぼれば、昔、兄弟の叔父、先代「若乃花」のファンだった。当時は、若乃花のライバルに「栃錦」がいて、全国の相撲ファンが栃若のどちらかに分かれて、熱くなっていた時代である。その若乃花に続いて、大関貴ノ花のファンに。さらに、若貴兄弟力士へとつながっていった。
その兄弟がいがみあうなんて。はっきりいってそんな姿はあまり見たくない。「しょせん兄弟げんか。ほっとけばいい」とはいっても気になって、テレビを見、週刊誌を読んでしまう。
というのも、私自身も兄との関係が、うまくいっていないという事情がある。ジャーナリストの江川紹子さんがサンデー毎日に若貴の兄弟げんかについて「人と人のコミュニケーションの基本は何なのかを考えさせられる」と書いている。
「たとえ家族であっても、自分以外の人は分からないし、自分を分かってもらうのも難しい。だからこそ、分かってもらう努力もするし、相手を分かろうと努めもする。人との関係はそこから出発しないと、ちょっとしたことをきっかけに、大きなコミュニケーション・ギャップに陥ってしまう」
なるほど、そういうことか。言わなくても分かってもらえる、というのは幻想なんだ。「他人は容易に分かり合えない」を基本に考えないといけない、ということである。それは家族や友人でも同じ。兄のところに出向いて、一緒に酒を飲んで話す努力をすれば、と思う。それが、おっくうなのである。
そういえば、小泉首相はぎくしゃくする隣国との関係で「話せば分かる」と能天気なことを言っていた。こちらの方は、首相がやめない限り、関係修復が難しいところまできている。私の方は、兄弟をやめるわけにはいかない。
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