先日、コラムで「ソフトバンクの王貞治監督が胃がんで手術を受ける」という話を書いた。試合終了後の午後11時からの記者会見。体調の変化を包み隠さず話したその律義さに頭が下がったからだ。
その一文に、「サッカーの中田英寿選手は突然の引退表明を自らのホームページに載せただけだった」とはさんだ。なにぶん短い文章なので、説明をはしょったのである。ちょっと心配だった。これだけでは誤解を招きかねない、とも思った。
しんぱいしたこのコラムに、猛烈な批判メールが届いた。「言外に『最後までわれわれマスコミを無視しおってケシカラン!』との憤懣がプンプン臭ってます。それこそマスコミの驕り以外のなにものでもありません」と。
さらに。「引退宣言前文を読みましたが、心の奥底から湧き出た言葉はすうっと私の胸に届きました。すくなくとも今日のあなたのコラムの百万倍は読む者の心をゆさぶりましたね。全文お読みになりましたか?あれを最後まで読んだ後で今日のようなコラムを書き散らしてプロ面をしているのは恥ずかしくないですか?」
文章が不十分だったことは認める。それにしても手厳しい。中田選手を批判するやつは絶対に許せない、マスコミ全てが悪い、というメールである。ただ、言っておきたいのは、中田選手を一流選手と認めるがゆえに、会見で自分の思いを話してほしかったということだ。度量の広さは、一流選手の証しでもある。中田選手がマスコミに絶望したためということだが、マスコミの悪い面、いい面合わせて許容する心を望むのは、無理なことだろうか。
中田選手の引退宣言文書は確かに上手だった。これだけの文章を書ける人はなかなかいないだろう。ただ、ちょっと気になったのは、かっこよすぎて、ナルシストみたい、ということぐらい。
それより、心配なのは、自分の気に入らないことは絶対に許せない、という包容力のなさである。なんだか、うすら寒い世の中になってしまった、と思うのはわたしだけだろうか。 |