午前4時。まだ真っ暗である。スニーカーに懐中電灯、ベルトに万歩計のスタイル。寝ぼけ眼で福山市鞆の街を歩き始めた。
1人ではない。江戸・元禄年間から300年以上も続く老舗「澤村船具店」の店主で、鞆の浦の景観保全を訴えてきた澤村猪兵衛さんに誘われてのウオーキングである。狭い路地と階段。西側の山すそにある医王寺から国重文の能舞台がある沼名前神社にかけて、潮待ちの港として栄えてきた名残のある街並みを歩く。1時間。うっすらと汗が出る。空が白みがかったころ、丘から眺めた鞆の港は心に染み入った。
もう10年前のことである。早朝ウオーキングを日課にしていた澤村さんと一緒に歩いて、鞆とともに生きてきた心情を少しでも理解したいと思った。代々「猪兵衛」名前を受け継ぐ7代目。鞆のシンボル的な存在だったその猪兵衛さんが1月18日、突然亡くなった。72歳だった。
瓦葺き、黒光りする柱、格子窓が港町の古い店構えを良く残している澤村船具店。ふらりと訪れる観光客らに澤村さんはきさくに鞆の文化や歴史を語ってきた。「鞆の文化遺産を守ろう」とホームページを立ち上げ、ネットで24時間のライブ中継も続けた。
広島県と福山市による埋め立て・架橋計画を厳しく批判してきた澤村さん。3年ほど前には、藤田雄山知事に鞆の歴史的街並みと港湾施設を何とか守って欲しい、と直訴もしている。ところが、澤村さんが亡くなって1週間後の25日には、鞆港埋め立て・架橋計画で県と市が測量に着手した。さらに、藤田知事は100%の同意がなくても着工する構えまで示した。
先日、久し振りに医王寺から鞆の港を眺めた。いつ見ても心が安らぐ風景である。鞆に生まれ、鞆をこよなく愛してきた澤村さんの思いを無にしてはならないと、あらためて思った。
【午睡/2007.02.01】