中東戦争を繰り返し、今でも時折、隣のレバノンなどに戦車で攻め入ったりするイスラエルの強硬な姿勢について、「なぜそこまでするのか」と思う人が多いのではないか。私自身、イスラエルを旅するまでは、理解できなかった。疑問に対する「目からうろこ」だったのが、世界遺産にもなっている「マサダ」である。「マサダを繰り返すな」と「マサダ・コンプレックス」がそのキーワードになる。
旧約聖書に「マサダの戦い」がある。紀元70年、ローマ軍によってエルサレムが陥落。熱心党員を中心としたユダヤ人967人がマサダ要塞に立てこもって、包囲したローマ軍に抵抗した。しかし73年、力尽きた。陥落の直前、ユダヤ人たちは奴隷となるよりは自決を選んだ。「ユダヤ戦記」によれば、家長はその家族を殺し、そして10人のグループをつくり、1人が9人を殺し、また10グループのうち1人が9人を殺し、最後の1人は自害した。967人のうち、女子供7人が生き残っただけという。
この要塞は、海抜下400メートルの死海西岸近くにある標高400メートルの丘。草木一本もない切り立った岩山の頂上が平らになっている。まさに難攻不落の砦である。観光用のロープウエーで登った砦から、眼下にユダの荒野が広がり、死海が見渡せた。
この集団自決を契機に、ユダヤ民族の離散が始まる。約1900年を経て、ユダヤ人はパレスチナの地に悲願のイスラエルを建国するのである。建国の合言葉が「マサダは二度と陥落しない」。四面を敵に囲まれた中で国を作ったユダヤ人が、「マサダの悲劇を繰り返すな」と決意を新たにするのも分かるような気がする。
また、「背中からあいくちを突きつけられた」状態の強迫観念を、「マサダ・コンプレックス」と呼ぶ。攻撃は最善の自衛手段と考え、相手の戦闘能力を徹底的につぶし、戦意を喪失させないと安心できないのも、このマサダ・コンプレックスが背景にある。イスラエル国防軍の入隊宣誓式が年に何度かマサダ頂上で行われ、新兵たちは忠誠の誓いをする。暗闇にヘブライ語の火文字「マサダは二度と落とされない」が燃え上がる。
いい、悪い、ではない。イランだって、「イスラエルを地球上から消す」と公言しているのである。ユダヤ人の歴史を知ることで、イスラエルに対する認識が複眼的になったように思う。
マサダの戦いは、映画にもなっている。「炎の砦マサダ」(1981年)。イギリスの俳優ピーター・オトゥールが出演する米映画も一見に値する。 |