「7年遅れ」は前回の8回目で終わりとしたい、としていた。しかし、もう一度、書いておきたい状況になった。
前 回の(8)は、2006年3月15日。息子の大学卒業式の日だった。それから1年半余り。息子は広島の自宅に帰って、量販店に勤めて真面目に働いた。アル バイトから準社員になり、近々、正社員になる試験を受けようという段階だった。ところが、降って沸いたような話だ、キリスト教の牧師になることになったの だ。
コラムの最初が5年半前の「7年遅れ」(1)だった。息子が大学に合格し、気持ちの整理がついたところ で、書き残しておきたいと思ったからである。高校時代の登校拒否、3年半の自宅ひきこもり、高校中退、そして少しずつ社会復帰、大検を受けて大学を受験 し、合格。南九州での4年間の学生生活。そして郷里で会社勤め…。
昔の日々が走馬燈のように頭の中を駆け巡った。息子が登校拒否になり、自宅に引きこもった時のつらさは、思い出すと今でも胸が痛む。どれだけ親失格と悩んだことだろう。
そ れでも、社会復帰できたのは幸いだった。コラムで書いているが、赤ん坊のときからの教会信者である息子は、引きこもり中も教会だけが小さな天の窓だった。 陰に日なたに息子を励ましてくれた教会の「牧師先生」がいなければ、今の息子はないだろう。その牧師先生が息子に「献身しなさい」と勧めてくれた。
12 月2日、広島プリンスホテルで私の還暦感謝祭と息子の牧師になる祝福祭を行った。牧師と信者の計107人が昼食を食べながら、霊讃歌を歌い、信者の楽器演 奏などで素晴らしいひとときを過ごした。泣くまいと思っていたのに、あいさつで息子の話になると絶句してしまった。ただ、ただ、感謝、感謝である。
「献 身」とは、神に身を捧げることである。もちろん、牧師になることはたやすいことではない。いばらの道だろう。ただ、これまでの回り道は、けっして無駄にな らないと思う。私も妻も、息子の挫折を通して、悩み迷っている人たちを優しい目で見ることができるようになった。謙虚になることの大切さを、息子から教え られたといってもよい。
息子は12月16日、東京の教会へ旅立った。「七年遅れ」はこれで本当に最後にしたい。 |