およそ30年間、推進派と反対派で対立してきた福山市鞆町の埋め立て架橋計画にやっと結論が出た。湯崎英彦県知事は架橋計画を撤回し、景観への影響が小さい山側トンネルを推進する考えを示したのだ。遅ればせながら、英断と評価したい。
鞆の浦には、常夜灯や雁木、番所、焚場、波止場という近世の港の特徴的施が残る。世界遺産候補地の調査に当たる国際記念物遺跡会議(イコモス)は現地を調査して、埋め立て架橋の計画の見直しを求めていた。
しかし、福山市と県はかたくなに架橋計画推進を主張し続けてきた。確かに鞆の町並みは道が細く、交通渋滞などで住民は不便である。生活だけ考えれば埋め立て架橋がベターだろう。だが、埋め立て架橋ができれば鞆の景観は台無しだ。開発か保存かの二者択一にしてしまい、結局30年間も前にも後にも進まない状態にしてしまった行政の責任は大きい。
景観を考慮しつつ住民の不便な生活も良くする道を、どうして早くから選択なかったのか、いまだに疑問が残る。3年前に就任した湯崎知事になってようやくかたくなさが取れたように見える。
15年ほど前のことである。夜明け前、スニーカーに懐中電灯、ベルトに万歩計のスタイルで鞆の街並みを歩いたことがある。1人ではない。江戸・元禄年間から300年以上も続く老舗「澤村船具店」の店主で、鞆の浦の景観保全を訴えてきた澤村猪兵衛さんに誘われてのウオーキング。澤村さんと一緒に歩いて、その心情を分かりたいと思ったからだ。
狭い路地と階段。西側の山すそにある医王寺から国重文の能舞台がある沼名前神社にかけて、1時間。うっすらと汗が出る。白みがかったころ、丘から眺めた鞆の港は心に染み入った。
広島県と福山市による埋め立て・架橋計画を厳しく批判してきた澤村さん。藤田雄山前知事に鞆の歴史的街並みと港湾施設を何とか守って欲しい、と直訴もしている。その澤村さんは5年前、突然亡くなった。72歳だった。
医王寺から眺める鞆の港は、いつもながら心が安らぐ風景だ。鞆に生まれ、鞆をこよなく愛してきた澤村さん。今回の架橋撤回に、笑顔をみせているに違いない。
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