危惧していた通り、特定秘密保護法が成立した。衆参両院で絶対多数を誇る自民党政権。アベノミクスで景気が上向きなこともあって、安倍内閣の支持率は高い。少々反発があっても法案を通すのは「今でしょう!」と突っ走ったのだろう。国民はなめられたものである。
1999年に成立した「国旗国歌法」を思い出す。時の官房長官、野中広務氏は「国旗国歌を強制するものではない」との見解を述べた。しかし、法ができると、東京都や大阪市などでは「卒業式で国歌を歌わない」「国旗掲揚に起立しない」教職員を処分する事態になっている。野中氏は「起立せなんだら処罰するなんてやり方は権力者のおごりだ」と怒っている。
法律というものはひとり歩きする。強制しないといったはずなのに、法ができればこんなことになるのである。秘密保護法はもっとひどいことになる可能性が高い。秘密保護法の問題点は、様々な人たちが様々な角度から論じている。とりわけ、戦前の改正軍機保護法案と共通点が目立つという。この法律で実際に市民が逮捕されているのだ。とんでもない法ができたと、あらためて思う。
自民党の石破茂幹事長が、日本記者クラブでの記者会見で「特定秘密保護法で指定された秘密に関する報道は抑制が必要」と述べた。そして、すぐ後に党本部で「抑制は求めない」と発言を撤回した。ところが、翌日になって「報道に自制が必要」と一転する。
石破幹事長は、市民のごく普通の権利であるデモを「テロ行為と本質においてあまり変わらない」とブログに書いた。撤回はしたが、本音だろうと思わざるを得ない。これは安倍政権の本質をはからずも露呈したともいえる。
お隣の国では、ナンバー2だった要人が突然、処刑された。金正恩第一書記の「血の粛清」が始まった。背筋が寒くなる残虐さだ。こんな国がいまだに存在しているのである。批判を許さない国の究極の姿が、北朝鮮といえるだろう。
年も押し詰まって、もやもやした気持ちになっている。秘密保護法の施行は一年後。ジャーナリズムの危機に際して、私たちはこの法に対する危惧を言い続けなければならないと思う。
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