この欄で2003年、「還暦祝い」というコラムを書いた。大学教授の還暦祝いに、教え子たちが全国から集まってきた宴に、出席した時のことである。
その大学教授は広島修道大学の日隈健壬さん。3月25日、「日隈先生が亡くなった」という訃報が、突然飛び込んできた。本当に突然のことで、絶句してしまった。というのも、日隈先生がこの春、大学を退職。3月1日に教え子たちが催した「最終講義」いう名の祝賀会に出席し、お会いしたばかりだったからだ。
日隈先生の奥さんや息子さん、お孫さんも出席した会場で、にこやかに「最終講義」をを聞いた。小さい頃や若いころの写真も入れた、これまでの足跡をまとめたスライドも上映された。門下生のあいさつでは、学生と一緒に大酒を飲んで破目を外した型破りの教師像が語られた。教え子たちを見ると、先生の包容力の大きさがうかがえた。記念品は背番号に「HIGUMA」と書かれたカープのユニホーム。それに袖を通し、孫をだっこした満面の笑みを披露された。
還暦祝いの会もよかったが、最終講義の会もなごやかで心温まるひとときだった。後から聞くと、肝臓がんが進行していて、立つのも精一杯な体調だったという。そんなそぶりを全く見せないところが、先生の美学だったのだろう。亡くなった日、自宅に駆けつけると、まだ温もりが残っているような穏やかな顔だった。
このコラムにも書いたが、2年前、会社の同期で私が最も親しかった小野増平さんががんで逝った。64歳だった。そして、今度は大学で最もお世話になった日隈先生である。71歳はまだまだ若い。もっともっと話がしたかった、あれもこれも聞いておきたかった…と悔やんでいる。親しい人たちに先立たれるのは、本当に辛くて寂しい。
桜の花が咲き始めた。悲しい別れのたびにこの翻訳詩を思い出す。「ハナニアラシノタトエモアルゾ 『サヨナラ』ダケガ人生ダ」
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