祈るような気持だったが、最悪の結果になってしまった。過激派「イスラム国」がジャーナリストの後藤健二さんを殺害した。その残虐極まりない犯行を、いくら非難しても非難しすぎることはない。いかなる理由があろうともテロは許されない、のは当然である。さらに、今後も日本人を標的にすると予告している。安倍首相が「テロと戦う国際社会において日本の責任を毅然と果たす」と強調したのも当然だろう。
ただ、それでも釈然としないことが残る。日本は戦後、軍隊を派遣せず、武器を輸出しない国として、中東では他の国と違う見方をされていた。ところが安倍首相は「積極的平和主義」の下、武器や関連技術の輸出を基本的に禁じた「武器輸出三原則」を全面的に見直した。そして、集団的自衛権や自衛隊の海外派遣拡大を進めようとしている。こうした流れの延長線上に今回のイスラム国による人質処刑事件があったと見るべきだろう。
首相は今回の中東訪問でイスラム国対策として2億ドルの資金供与を表明した。難民たちを支援することに異論はない。しかし、人道支援と説明している中で、「イスラム国と闘う周辺諸国」と述べ、イスラム国と闘う姿勢を鮮明にしている。相手を刺激するその言葉のリスクを、首相はどこまで考えていたのだろうか。
後藤さんは、紛争地帯のシリアやイラクにたびたび渡航して、取材活動をしていた。いつでも戦争の犠牲者は、女性や子どもたちの弱者である。とりわけ「子どもたちが何を食べ、どんなことを悲しみ、喜んでいるのか伝えたい」と生前語っている。弱者への優しいまなざしや使命感を持つ、まさにジャーナリストだった。現地の人と関係をつくり、自分の安全を確保する慎重な取材もしていた。それでも命を守れなかった。いかに戦場取材が危険であるかを、あらためて示す結果になった。
今回の事件で、わずかに救いだったのは「自己責任」という言葉が公に出なかったことである。ジャーナリスト・後藤健二を忘れまい。
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