あの日から5年が過ぎた。あの日とは、2011年3月11日の東日本大震災である。節目の年とあって、新聞やテレビでは特集記事や特集番組があふれていた。テレビに流れた津波の映像を見て、5年前の衝撃がよみがえってきた。
死者1万5894人、行方不明者2561人。いまだに行方不明者がこんなにいるのだ。さらに、プレハブ仮設住宅で今も5万7677人が暮らし、全国の避難者数は約17万4000人にのぼる。そして、避難生活での体調悪化などで亡くなった震災関連死は、3月10日時点で3410人もいる。この数字に、千年に1度とも言われた大災害のすごさを改めて思う。
テレビ番組が、親を亡くした子どもたちの5年間を追っていた。小中学生が高校生に、高校生が社会人に。5年の歳月は子どもたちには長かったことだろう。5年たってやっと災害時のことを話すことができるようになった男の子を見ていると、胸が締めつけられる思いだった。
復興は進んではいるが、まだまだといわざるを得ない。津波で壊滅的な被害を受けた市街地や集落は、5年たっても荒涼たる風景が広がっている。住宅の高台移転が少しずつ進められてはいるが、簡単なことではない。原発事故では、福島県双葉町など7市町村の一部が今も放射線量が高い「帰還困難区域」に指定されている。「帰りたいけど、帰れない」のである。家財道具が散らばったままの空き家を、カメラが映し出していた。残酷な姿である。
福島第一原発は、メルトダウンした核燃料がどうなっているのか分からない状態が続いている。放射線に汚染された冷却水が増え続ける。事故後の除染で出た汚染廃棄物が、あちこちにうず高く積まれている。それを保管する中間処理施設を整備するめどもたっていない。ましてや、高レベル放射性廃棄物の最終処分地はまったく見つかりそうにない。まさに原発は「トイレのないマンション」なのである。
原発は人類と共存できない。大震災はそのことを示している。だが、安倍首相は「エネルギーの安定供給を確保するためには原子力は欠かすことができない」と述べている。私たちは自然に対して、謙虚な気持ちを忘れてはならない。
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