官房長官や自民党幹事長などを歴任した元衆院議員の野中広務氏が、1月26日に亡くなった。92歳だった。2003年に政界を引退してからも、テレビの「時事放談」などに出演し、 “ハト派”の論客として存在感を示していた。憲法9条改正には「再び戦争になるような歴史を歩むべきではない。反対だ」と言い切っていたのが印象に残る。
今から30年ほど前、東京の永田町で3年間ほど政治取材をしたことがある。竹下内閣が誕生したころ、竹下派に所属していた野中広務氏はまだ当選2回の陣笠議員だった。京都府の一地方政治家から衆院議員になったのは1983年、57歳の時だから遅咲きの政治家だ。私が東京から広島に帰った後、野中氏はあれよあれよという間に権力中枢へと駆け上がった。強権的かと思えば、反戦平和にこだわり、弱者に対してえもいわれぬ優しさを見せる、不思議な政治家だといつも思っていた。
その疑問が解けたのは、ブックレビューでも紹介した「野中広務 差別と権力」(魚住昭著)である。その中に衝撃的なやりとりが出ている。―野中が引退を控えた2003年9月の自民党総務会。麻生政調会長(当時)がある会合で「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と発言したことを取り上げ、「君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」と怒りをあらわにした。野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった―と記している。
自衛隊のイラク派遣を決めた小泉政権や、集団的自衛権を容認した現安倍政権に、厳しい批判の目を注いでいた。その行動を貫いたのは一貫した「平和主義」と「弱者へのまなざし」だった。自民一強、安倍一強の政界。堂々と異を唱える、骨のある保守政治家がまた一人逝った。
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