絵本作家レオ・レオニの作品「せかいいちおおきなおうち」にこんな話がある。
「カタツムリの子が世界一大きな家(殻)を持とうと思うが、お父さんが子にこんな話を聞かせる。『大きな家を持てば重くて移動できなくなり、食料がなくなって他の場所に行こうとしても動けず、息絶えてしまう』、と」
成長という呪縛にとらわれた人々の悲劇を暗示している、という指摘である。早稲田大地域・地域間研究機構次席研究員の中野佳裕さんが著書「カタツムリの知恵と脱成長」で紹介している。中野さんは、規模は小さくても持続可能な地域循環型の経済活動の大切さを訴える。確かに、地球環境の破壊や格差拡大、大規模な金融危機、原発事故など厄介な問題が同時多発的に頻発している。豊かになれば幸せになれると、がむしゃらに経済成長を目指してきた。ところが、現実は幸せな状況になっていない。資本主義の限界が露呈しているのだ。
中野さんの指摘には、一つ一つうなずけることが多い。産業革命以前は、世界の多くの地域で海や森の資源を必要以上に消費しない循環型で節度ある生活をしていた。隣人と食べ物や生活用具を分かち合う経済が日常的だった。私は田舎育ちなので、小さい頃、隣の家の台所のどこに何があるかまで知っていて、お互いに足らないものを補い合っていた。ところが、都会暮らしになると、プライバシー保護の名のもとに隣との付き合いも少なくなった。地域社会の絆も希薄になっている。
高度成長時代、地域に根差す小規模な経済活動を「遅れている」とか、「生産性が低い」などとして切り捨ててきた。そして、お金至上主義、効率至上主義に覆われていった。日本も含む先進国は成長体験にしがみつき、いまだに経済成長を目指している。経済成長が永久に続くわけがない。成熟社会として、その仕組みを変える時がきているのだ。
先進国は成長の行き詰まりを、市場経済化をさらに進めることで克服しようとした。その結果、労働市場が不安定化し非正規労働者が増え、公共サービスの民営化で社会保障の基盤が崩れていった。どうすればいいのか。中野さんは、経済の仕組みを変え、環境に優しい分かち合いの生活を取り戻すことだという。「足るを知る者は富む」ということわざがある。カタツムリの知恵を学ぼう。
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