一隅を照らす。12月4日、アフガニスタン東部のジャララバードで銃撃されて死去した医師・中村哲さん(73)の好んで書く言葉である。比叡山延暦寺を開いた伝教大師・最澄の著書にある。一人ひとりがそれぞれの持ち場で全力を尽くすことによって、社会全体が明るく照らされていく、という意味だ。
福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の現地代表として、アフガニスタンで人道支援に尽くしてきた中村さん。混乱を極めるアフガンで医療活動をしていたが、「百の診療所より一本の用水路が必要だ」と干ばつと内戦で荒れた土地に緑を取り戻すかんがい事業に力を注いできた。アフガンはかつて、緑豊かな美しい国だった。しかし、大国の占領などが繰り返され、戦乱と干ばつで国土は荒廃してしまったのだ。かんがい事業が軌道に乗り、砂漠だった土地に緑が芽生えた時に、「助かるかどうか分からない患者を手術して、助かった時の医者の気持ちと同じだ」と思ったという。
最澄の著書には、「自分のためだけでなく、人の幸せ、人類の幸せをもとめていこう。人の心の痛みがわかる人、人の喜びを素直に喜べる人。人に対して優しさや思いやりが持てる心豊かな人こそ国の宝である」とある。中村さんは、その活動がどんなに称賛されても、おごらず偉ぶらず、いつもひょうひょうとしていた。まさに、最澄の教えを実践していた人である。
そして、戦争と平和への思いがひときわ大きかった。「武器によって平和は訪れない」と、戦地への自衛隊派遣に反対した。戦争放棄をうたった日本の憲法9条を「民族の理想」と言っていた。「国際貢献」という言葉を嫌い、アフガンでの活動を「地域協力」だとし、「アフガンの干ばつは日本人と無関係ではない。大量生産や大量消費の結末だ。そういう現実を知ってほしい。人道的支援こそ日本の役割だ」と、支援を呼び掛けていた。
中村さんほどアフガンの人々と信頼関係を作り上げていた人はいないだろう。それでも、命を狙われる治安の悪い現状がある。中村さんの死を悼み、せめて「照一隅」の言葉を心に止めておきたい。
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