10年ひと昔、という。10年が長いと思うか、短いと思うか、人それぞれだろう。東日本大震災から10年経過した。区切りの年とあって、メディアがこの10年間を詳細に特集していた。死者1万5669人、行方不明者2526人、関連誌死3775人。不明者が今だに2千5百余もいることに、この大震災の実態が現れていると思う。それにしても当時の津波の映像は、何回見ても心がざわつく。
被災地のインフラは、交通インフラなど多くが復興してきた。だが、今なお全国で約4万1千人が避難生活を余儀なくされていることを忘れてはならない。その住民の大部分が福島県民である。そう、原発事故関係の被災者だ。東京五輪誘致で安倍前首相は、メルトダウン(炉心溶融)を引き起こした東京電力福島第一原発を「アンダーコントロール」と言って胸を張ったが、10年たった今も廃炉の道筋すらついていない。
メルトダウンした原子炉は、格納容器に「デブリ」と呼ばれる核燃料が溶け落ちている。格納容器周辺は放射線量が高くて、なかなか近づけない。デブリを取り出すのに東電は20〜30年かかるとしているが、取り出す方法すら見つかっていないのが現状だ。廃炉もなまやさしいものではない。廃炉作業に数十年かかるとしよう。作業を終えても、放射能が半減するまでは100年、200年の単位である。気の遠くなるような話なのだ。
さらにやっかいなことは、取り出した放射性廃棄物(核のゴミ)を最終的に処分する場所が決まっていない、ということである。これからも見つかる可能性は少ないだろう。原発は「トイレのないマンション」と言われる由縁である。そのうえ、原発を1基廃炉にするにも数百億円?という膨大な費用がかかる見込みだ。
それでも、日本の自民党・政府は、原発の再稼働を進めようとしている。原発を稼働させれば、それだけ核のゴミが増えるのは誰でも分かることだろう。ドイツは、福島原発事故を見て脱原発に舵を切った。日本も事故から学ぶことは「原発ゼロ」を目指すことではないのか。10年たっても脱原発の声が大きな流れにならない日本に、失望してしまう。
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