6月23日は「沖縄慰霊の日」。太平洋戦争の末期、日本軍と沖縄諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合国軍との間で行われた沖縄戦で、20万人の犠牲者が出た。うち、一般の犠牲者は約10万人。沖縄県民の4分の1が命を落とした壮絶な戦いだった。
沖縄は戦後27年間、米軍の統治下に置かれ、1972年5月15日、日本に返還された。日本に復帰して半世紀を過ぎた今年2月24日、西山太吉さんが91歳で亡くなったことをどれだけの人が注目しただろうか。
沖縄返還協定が調印された1971年6月、毎日新聞政治部記者だった西山さんが、沖縄の米軍用地の原状回復補償費400万ドルを日本側が肩代わりするとの密約に絡む外務省機密公電のコピーを入手。密約の存在を示唆する報道をした。西山さんはコピーを渡した外務省の女性事務官と共に、国家公務員法違反容疑で逮捕された。いわゆる「外務省機密漏えい事件」である。
「言論の自由」や「知る権利」を訴えるメディアに対し、起訴状に記された「ひそかに情を通じて」の文書によって外交問題が男女関係にみごとにすり替えられた。そして、最終的に有罪判決になった。税金を違法に使った国家の犯罪なのに、それを暴露した敏腕記者が有罪になり、ペンを奪われたのである。2000〜02年に密約を示す米公文書が相次いで見つかったが、それでも政府は否定し続けた。
その後、返還交渉を担当した吉野文六元外務省アメリカ局長が密約の存在を証言した。それでも、政府は密約を否定し続けた。西山さんは北九州で親族の青果会社で働きながら、日米の密約を最後まで追及した。10年ほど前、西山さんの講演を聞いたことがある。「私は裁かれたが、うそをついた国は裁かれないままだ」という西山さんの言葉が、今でも頭に残っている。
国家はうそをつく。そして、本質を見抜けず、「すりかえを」を許した主権者である国民の責任も忘れてはいけない。沖縄慰霊の日に関係して、そんなことを思った。
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