イスラム組織ハマスがイスラエルに発射したロケット弾に始まり、イスラエル軍の空爆、そしてガザ侵攻の地上戦という戦いは、今から14年前もあった。この欄でも取り上げている。同じようなことが繰り返されているのがパレスチナ紛争である。
当時は、パレスチナ自治区ガザで1000人以上の犠牲者が出た。今回は、現在のところイスラエル側が1400人、ガザ側がおよそ1万人とこれまでにない多くの犠牲者を出している。イスラエルはさらにガザの地上戦を推し進める姿勢で、世界の非難が集まっているのも当然だろう。「なぜそこまでするのか」と思う人が多いだろう。イスラエルの強硬な姿勢がなぜなのかは、その時のコラムで書いたが、改めて記したい。
キーワードは世界遺産にもなっている「マサダ」である。紀元70年、ローマ軍によってエルサレムが陥落。ユダヤ人967人がマサダ要塞に立てこもってローマ軍に抵抗した。しかし、73年、力尽きた。陥落の直前、ユダヤ人は奴隷になるより自決を選び、自害した。967人のうち、女子供7人が生き残っただけという。旧約聖書に出てくる「マサダの戦い」だ。
国が滅びてユダヤ民族は世界に離散し、1948年に悲願のイスラエルを建国した。建国の合言葉が「マサダを繰り返すな」である。周りを敵に囲まれたユダヤ人は、「背中からあいくちを突きつけられた」状態の強迫観念を持つ。これを「マサダ・コンプレックス」と呼ぶ。攻撃は最善の自衛手段と考え、相手の戦闘能力を徹底的につぶさないと安心できないのだ。イスラエルのネタニヤフ首相が強弁する「ハマスを根絶やしにする」というのも、マサダ・コンプレックスだろう。
ユダヤ人の歴史を知ると、イスラエルに対する認識がまた違ったものになる。だからといって、イスラエルに肩入れするつもりはない。無垢な子どもたちが無差別に殺戮されるのを、許して言い訳がない。ロシアのウクライナ侵攻でも、子どもやお年寄りなど、紛争に関係のない住民がどれだけ犠牲になっていることか。
聖書の世界がそのまま現存するイスラエルを2度、旅したことがある。当時から危険地帯だったガザ地区には近寄れなかったが、パレスチナ人が住むヨルダン川西岸地域や、シリアとの紛争があったゴラン高原へは足を延ばした。世界遺産にもなっているマサダにも登った。標高400bの丘にある要塞からユダの荒野が広がり、死海が見渡せた。
エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地になっている。イエスキリストが十字架にかかったゴルゴダの丘にある聖墳墓教会、ユダヤ人が祈る「嘆きの壁」、イスラムの岩のドームを訪ね歩き、それぞれの民族が棲み分けている実情を見て、不思議な気持ちになったのを覚えている。
旅しながら、人類が存在する限り永遠に紛争が続くのだろう、と思った。悲しいことだが、どうしようもない現実だ。一刻も早い停戦の願うだけである。
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